禅林をゆく
支離鄙俚(しりひり)の言、奉じて鴻宝と為す
2014年10月29日水曜日
大地を踏みしめる
蹈着実地
…
実地(じつぢ)に蹈着(たうぢゃく)す
註:
しっかりと大地を踏(蹈)みしめて行く。北宋の代表的な政治家かつ学者でもあった司馬光の人となりが「脚は実地を踏む」と評されたことで有名。おそらくそれに基づいた禅語であろう。
出典:
句双紙 (新日本古典文学大系 52)
的があるから矢が飛んでくる
垜生招箭
…
垜(あづち)生(な)って
箭(や)を招く
註:
あずち(的を置く土盛り)が出来上がると、待っていたとばかり矢が飛んでくる。百丈広録では、「およそ言葉というものはこういうものだ」という。つまり、何か或ることがらを言葉によって対象化し、定立させようとすると、自らディレンマに陥ることになる。それは言葉というものが自ら招く宿命だ、という喩えである。虚堂録二。大慧語録十五。
出典:
句双紙 (新日本古典文学大系 52)
2014年10月22日水曜日
春夏秋冬、好時節
春有百花秋有月
夏有涼風冬有雪
若無閑事挂心頭
便是人間好時節
…
春に百花(ひゃっか)あり 秋に月あり
夏に涼風(りょうふう)あり 冬に雪あり
もし閑事(かんじ)の心頭に挂(かくる)こと無くんば
すなわち是、人間の好時節
註:
これは茶掛けなどによく使われる言葉で、皆さんもご存じの方も多いでしょう。春には百花が咲き乱れます。秋には澄んだ夜空に美しい月が出ます。夏には暑さの中にも涼風が吹き、冬は白く雪が降ります。もし心に引っかかりがなければ、春夏秋冬いつでも、あぁ素晴らしいと眺めることができます(足立大進)。
出典:足立大進「
即今只今
」
2014年10月20日月曜日
ひけらかすなかれ
少売弄
…
少(しょう)売弄(まいろう)
註:ひけらかすな。「少」は「…するなかれ」の意。身のほど知らずの一知半解ぶりを叱る。
出典:
句双紙 (新日本古典文学大系 52)
跡を残さず
没蹤跡
…
没(もつ)蹤跡(しょうせき)
註:
痕跡がない。痕跡が残るのは、修行がまだ生はんかなため。味噌くさい味噌は上等の味噌ではないように。ほんものの修行は「無念無作、非修非証」(四十二章経)、道そのものと契合するから、シミも匂いも出ない。馬祖語録では「蹤跡を留めず」という。
出典:
句双紙 (新日本古典文学大系 52)
味なし
没滋味
…
没(もつ)滋味(じみ)
註:
味わいがない。理法そのものは、人の口を楽しませるような味をもたない。老子三十五章の「道の口に出づるは、淡くして其れ味なし」に基く。虚堂録八。修行とは味もそっけもないもの、という意味にも用いる。しかし、その味気ないところが味わい深いところなのだという含み。→「不風流処也風流」。
出典:
句双紙 (新日本古典文学大系 52)
裸の丸出し
露堂々
…
露(ろ)堂々
註:
裸の丸出し。本来の自己の全面露呈(臨済録)。類語に「浄裸々」がある。「浄」は清浄の意ではなく、「乾浄」つまりすっからかんの無一物のこと。
出典:
句双紙 (新日本古典文学大系 52)
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